孫の手

2006年08月29日 (火)
孫の手は未来を感じさせてくれる、反対に自分の手はいかに老化を遅らせるかに掛かっているかと感じてしまう。
このつぶらな手に孫の一生が掛かっている、この手で自身の幸せを掴みとって欲しい。
両親を尊敬し祖父母を敬愛し自身を愛して、命を掛けれるほどの人に廻り合い
この手でしっかり抱きしめ愛する事のできる人になってもらいたい。
つぶらな手はすべての希望を供えて健やかに成長している、健やかなれ、安泰なれ、豊かな心を持ち人に愛される人間になってもらいたい。
我が子の成長に目処が付くと今度は孫の楽しみが出来てありがたい、自分がそうであったように甘えられしかられる祖母でありたい。
祖母は口うるさくは無かったが可愛がってもらった、何処にでも連れて行ってもらえた、他の兄弟には悪いが初めての孫で男の子のようなたくましさも合ったので、連れて歩くには小学校入学までは汽車賃も掛からないし入場料が要るわけでもないから、気が楽だったのかもしれない。
そのせいかどうかは分らないが「孫が大きくなったら二人で旅をしたい」と今から周囲に希望を語っている始末。それよりず〜っと前に「孫の教科書を一緒に見て自分の時と比べてみたい」と自分が小学生の頃思ったものだ、考えると変な子であるまだ子供が生まれるかどうか分らない孫のことを思うなんて・・・。
しかし昔は結婚して子供が出来、子供は大きくなって孫を産む、ということは当たり前の常識であり、子供ながらに何の不思議も無くそう感じたのだった。だが最近になってあることに気が付いた、確かに元気であれば成長した孫の教科書を見ることは出来るが、果たして自分が子供の頃はどんなだったかとんと忘れてしまってるではないか・・・。まーどうにか潜在意識を掘り起こしましょう、きっと時代の流れを感じることでしょう、時代は流れても日本人としての心を感じさせるようなものであって欲しいと願ってはいますが。
小さな手は幸せの象徴、自分の手は生きてきた証、握り合って歩ける日は遠くありません、為になることの一つでも言って聞かせることの出来る祖母でありたい。

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